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京都地方裁判所 平成7年(行ウ)10号 判決

原告

河南義則

右訴訟代理人弁護士

井上二郎

中島光孝

被告

京都南労働基準監督署長

藤本正敏

右訴訟代理人弁護士

上原健嗣

右指定代理人

種村好子

外七名

主文

一  被告が原告に対し平成五年六月二五日付けでした労働者災害補償保険法に基づく療養補償給付を支給しない旨の処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

主文と同旨。

第二  事案の概要

一  請求の類型(訴訟物)

本件は、原告が従事していたタイヤ販売会社におけるタイヤ取扱業務等に起因して右上肢ジストニア(以下「本件疾病」という。)に罹患し、またこれが悪化したとして、被告の原告に対する労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく療養補償給付を支給しない旨の処分(以下「本件処分」という。)の取消しを求めた抗告訴訟である。

二  前提事実(かっこ内は確定根拠を示す。)

1  原告(昭和三三年二月二四日生まれ)は昭和六一年四月二一日から平成四年八月までの間トーヨータイヤ京滋販売株式会社(以下「トーヨータイヤ京滋販売」という。)に勤務していた(争いがない。)。

2  原告はトーヨータイヤ京滋販売に採用された後、昭和六二年二月まで同社京都営業所(以下「京都営業所」という。)において、同年三月一日から平成二年七月まで同社京都西営業所(以下「京都西営業所」という。)において、同年七月三一日から同社を退職するまで京都営業所において、いずれもタイヤを販売する営業員としてその業務に従事した(争いがない。)。

ところで、原告は平成元年一月ころから右手で文字を書くことに不自由を感じるようになり、平成二年七月一七日に京都大学医学部附属病院神経内科(以下「京大病院」という。)で受診したところ、右上肢ジストニア(本件疾病)と診断され、その後、平成四年三月二四日に京大病院で受診した際にも担当医から本件疾病のため自宅療養及び通院加療を要すると診断され、同月二五日から休職して通院加療を続けたが、同年八月二〇日にトーヨータイヤ京滋販売を退職した(争いがない。)。

3  そこで、原告は平成四年六月三日付けで被告に対し本件疾病は業務上の事由によるものであるとして療養補償給付の支給を請求したが、被告は平成五年六月二五日付けで同給付をしない旨の処分(本件処分)をした。これに対し、原告は平成五年八月一八日に京都労働者災害補償保険審査官に対して審査請求をしたが、同審査官は平成六年二月一八日付けで右請求を棄却した。このため、原告は平成六年三月三一日付けで労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会は平成九年五月七日付けで右請求を棄却した(乙23、争いがない。)

三  主な争点

本件疾病又はその悪化は原告が従事した業務に起因するものか否か。

第三  争点に関する当事者の主張

一  原告

1(一)  原告は昭和六一年四月にトーヨータイヤ京滋販売に採用されてから昭和六三年二月までの間、京都営業所に営業員として配属され、得意先へのタイヤ販売の業務に従事したが、実質的にはその労力の八〇パーセント程度をタイヤの取扱作業に向けていた。タイヤ取扱作業には、数キログラムから一〇数キログラムの重量のあるタイヤを倉庫からタイヤ交換の作業場へ降ろす作業、古いタイヤを新しいタイヤに交換するために自動車からタイヤをホイールごとはずし古いタイヤを新しいタイヤに入れ替える作業、ホイールをはずしたタイヤから引き出したフラップとチューブを新しいタイヤに入れこれを再びホイールに装着する作業、親会社の倉庫から送られてくるタイヤを会社の倉庫に収納する作業、タイヤ交換やタイヤ販売によって生じた使用済みタイヤを得意先から回収する作業等が含まれていた。これらの作業はいずれも相当程度の腕力を必要とする作業であった。このほか原告は伝票の作成等筆記を伴う一般事務にも従事していたが、数枚重ねのカーボン紙の伝票を使用することが多く常に強い筆圧を要求された。

また、タイヤ交換作業には一〇気圧程度の空気を充填する作業があり、タイヤが破裂するおそれがあるため、その作業には常に緊張を伴った。

(二)  原告は昭和六二年三月から京都西営業所に営業員として配置されたが、業務内容は京都営業所でのそれと大きな違いはなかった。

ところが、原告は平成元年一月ころからときどきペンを持てるがペン先を紙面に接触させることができないなど、右手で文字を書くことに困難を覚えるようになった。また、右手が右側に捻れるような感じを持つようにもなった。その後も原告はその症状に関する診察や治療を受けなかったが、平成二年七月一七日に至って京大病院で受診し右上肢ジストニアと診断された。しかし、原告はその後も特に通院を継続することもなく、本件疾病の治療を受けなかった。

(三)  原告は平成二年七月三一日再び京都営業所に配置された。業務内容は昭和六一年四月から昭和六二年三月で同営業所で勤務していたときとほとんど変わらなかった。しかし、同営業所ではホイールの重量と合わせて約八〇キログラムの重さがある一〇トン車以上の大型自動車用タイヤ(以下「大型タイヤ」という。)を取り扱うことが日常的にあり、原告の業務量はそれまでに比べて増加した。さらに、平成三年の冬期にはスノータイヤの入替作業が始まったためタイヤの取扱作業にかかる業務量は通常時の数倍にまで増大した。また、原告は平成三年一一月からのタイヤ販売促進キャンペーンに関する業務を担当していたため、得意先回りやタイヤ交換等の作業量が特に増加した。

一方、原告は同キャンペーンの期間中本件疾病の症状が悪化し、右手で文字を書くことが全く不可能になるとともにドライバーでねじを回すことが困難になった。そこで、原告はそのころから京大病院への通院治療を開始した。しかし、その症状は改善されなかったばかりか、平成四年一月ころには食事の時に右手を使うことも不自由になってきた。そのため、同年三月二四日から京大病院での原告の担当医が梶龍兒医師に交替するとともに、同医師から本件疾病により二か月間の自宅療養、通院加療が必要であると診断された。

その後、原告は平成四年八月までの間通院治療を継続したものの、右手がタイヤ取扱作業を続けることが可能であるまでに回復しなかったため、同月トーヨータイヤ京滋販売を退職せざるをえなくなった。

2  ところで、労災保険法は労働者保護法の性格を有する労働基準法(以下「労基法」という。)の労働災害補償制度を補完するために制定されたものであるから、労災保険法の解釈は労働者保護の見地からなされるべきであって、業務起因性の立証において労働者に過大な負担を課すべきではない。したがって、法的な見地から労働災害補償を認めるのが相当であると判断され、その判断が医学的見解に必ずしも矛盾しない場合には、業務に起因する疾病であるとしてそれに伴う休業ないし療養補償の給付をするべきである。

そして、ジストニアの発症の誘因又は増悪因子として向精神薬の長期の服用、遺伝的素因、精神的ストレス、罹患筋の過度の使用及び外傷等が指摘されているが、原告にはこのうち向精神薬の長期の服用、遺伝的素因及び外傷の各因子の存在が認められないから、本件疾病は精神的ストレスや罹患筋の過度の使用を伴う前項に指摘した内容の業務に起因すると見るのが自然である。また、ジストニアが職業病であることを全面的に肯定する医学的見解はないものの、ジストニアが業務に起因する場合があるとの報告例や局所性ジストニアとしての書痙が精神的なもので起こっているのではないとの医学的見解が存在する。

以上に述べたような労働災害補償保険制度の趣旨並びに原告が従事していた業務及び本件疾病に関する医学的見解の状況とをあわせ考えると本件疾病の業務起因性を認めるのが相当である。

二  被告

1  労災保険法に基づいて疾病に対し療養補償給付の支給をするためには当該疾病が業務上の疾病であると認められることが必要であり、業務上の疾病であると認められるためには、業務上の負傷に起因する疾病のほかその業務に内在する特定の有害因子を受けて発病するに至ったと明らかに認められる場合等、医学上の一般的経験則に基づき業務と疾病との関連が密接不可分な特定の疾病(労基法七五条二項、同法施行規則三五条、別表第一の二、一号ないし八号)以外の疾病については、業務に起因することの明らかな疾病と認定されなければならず(同九号)、業務と疾病との関連性が個々具体的に医学上の経験則によって解明されなければならない。

しかし、ジストニアは、その発症原因が医学上未だに不明であるから、医学上の一般的経験則に基づき業務との間に密接不可分な関連が認められる疾病とはいえない。

2  また、原告は、昭和六一年四月二一日にトーヨータイヤ京滋販売に就職し京都営業所においてタイヤを販売する営業職として業務に従事していたが、主として得意先であるガソリンスタンドを回る仕事を行っていた。また、昭和六二年三月一日に転勤した京都西営業所でも主として営業の仕事に従事し、その間タイヤの取扱作業を行うこともあったが大型タイヤを取り扱うことはなく、普通自動車タイヤ(以下「小型タイヤ」という。)の取扱いが大半であったため、大きな力を用いる作業は少なかった。一方、原告は平成二年七月三一日に京都営業所に勤務した後は営業の仕事のほかに一日一回はタイヤ交換作業を、一週間に二回はタイヤを倉庫に収納する作業をそれぞれ行うようになった。しかし、平成二年八月以降原告が従事したタイヤの取扱作業の作業量は通常時で一日平均約一時間程度、繁忙時でもこれが若干増加した程度であって、原告の業務量が他の労働者のそれに比較して多かったわけではないし、本件疾病の症状が悪化した平成三年から平成四年にかけても他の冬期に比較して特に業務量が増加したこともなかった。

3  したがって、本件疾病が原告が従事した業務に起因するものであるということはできない。

第四  争点に対する当裁判所の判断

一  証拠(甲5、乙3、4の1、2、5の1から5、6の1、2、8の1から3、9から11、14ないし16、原告本人)並びに弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

1  原告の勤務及び業務の内容等

(一) 原告のトーヨータイヤ京滋販売入社までの職歴

原告は昭和五五年三月に京都の大学を卒業し、同年四月に京洛ヤクルト販売株式会社に採用され、早朝販売、在庫管理等の業務に就いたが、試用期間内の同年七月に退社した。その後同年八月に婦人服製造卸業を行う株式会社ボナビに採用され、営業員として得意先回りなどを行ったが、同社も昭和六一年三月に退社した。

そして、原告は同年四月二一日に自動車用タイヤ及びチューブ等卸売業を行うトーヨータイヤ京滋販売に入社すると同時に京都営業所に配属された。

(二) 京都営業所(昭和六一年四月から昭和六三年二月まで)での勤務内容

原告は、京都営業所に配属されると、営業員として割り当てられた地域内にあるガソリンスタンド、カーディラー、カーショップ、修理工場、タイヤ専門店等の得意先に対する小型タイヤの受注やセールス等の業務に就き、後記の伝票作成等の作業をした。もっとも、原告はタイヤの販売活動のほかに必要に応じてタイヤの納品先や同営業所の作業場において後に説示するようなタイヤの搬入や入替作業等の取扱作業に従事することもあった。なお、京都営業所では大型タイヤの取扱いが多く、大型タイヤと小型タイヤの年間売上額は同程度であった。しかし、個数にすると小型タイヤの取扱いがやや多かった。

トーヨータイヤ京滋販売には原告と同様に得意先を回ってタイヤの注文を受けたり販売活動を担当する営業員が約二〇名いたが、京都営業所には四名が配置されていた。また、同営業所にはタイヤ交換作業を担当する作業員及び得意先へのタイヤの配送を専門に担当する従業員がそれぞれ二名ずつ配置されていたが、タイヤ交換作業員のうち一名はトラックやバスを保有している得意先においてタイヤを交換する作業に専従する出張作業員であり、他の一名は得意先での交換作業や得意先からの古タイヤの引取りなどをせず、専ら営業所でのタイヤ交換作業に携わる作業員であった。

また、京都営業所での始業時刻は午前八時四五分であり、原告をはじめとする営業員は午前九時には得意先回りなどのタイヤ販売活動のため営業所を出発するよう指導されていた。しかし、実際には後に説示するようなタイヤ取扱作業にも従事するため午前九時に営業所を出られないこともあった。一方、終業時刻は午後五時三〇分とされていたが、繁忙期以外の時期には午後六時三〇分から午後七時まで居残って残務の整理等をする従業員が多かった。

ところで、原告が京都営業所において従事したタイヤの取扱作業の内容は以下のとおりであった。

(1) 入荷したタイヤの倉庫への搬入

京都営業所には一年を通じて毎週一、二回、始業時刻ころに親会社の工場から各種タイヤが大型トラックで届けられ、タイヤが届けられた日には同営業所の従業員らは出勤するとすぐこれを営業所の倉庫へ搬入する作業を行うのが例であった。

親会社からタイヤが届けられると、まず六、七名いる営業所の男子従業員のうち何名かがタイヤを運搬してきた大型トラックの荷台に積み上げられたタイヤを荷台の床に引きずり降ろし、さらにこれを転がして荷台から投げるようにして地面に降ろした。そして、別の二、三名の従業員がトラックから降ろされたタイヤを種類別に作業場に積み上げ、検品を受けた上倉庫に収納する作業を行った。こうして届けられたタイヤのうち、六トン車以下の自動車用タイヤにあっては、少なくとも二名の従業員が営業所の建物二階にある倉庫に上がり、他の従業員が一階で倉庫と作業場を結ぶベルトコンベアまでタイヤを転がして運び、これを両手で胸の高さの位置まで持ち上げてベルトコンベアの上へ乗せた。一方、倉庫で待機している従業員らのうち、倉庫の床にいる者はベルトコンベアで送られてきたタイヤを両手でタイヤラック上に放り投げ、これをタイヤラックの上にいる者が受け止めて積み上げ、収納していた。また、大型タイヤにあっては、たいてい二名の従業員が作業場一階に設けてある収納場所まで転がしたうえ約一〇本ずつ積み上げていた。なお、大型タイヤを搬入する従業員が一名のときは転がしながらこれを階段状に積みつつ、順次奥に積み上げた方から約一〇本ずつの高さにする方法によっていた。そして、以上のタイヤ搬入作業は作業日の遅くとも昼ころまでには終えることができた。

ところで、京都営業所ではすべての従業員がタイヤの搬入作業に就いていたが、あらかじめ各従業員の担当する部分の定めもなかったため、原告はその都度必要とされる作業に携わっていた。

(2) タイヤの脱着及び入替え

タイヤの交換作業を行うには、まず営業所の隣の建物二階にある倉庫から新しいタイヤを作業場へ取り出さなければならなかった。倉庫には軽自動車、普通乗用車、四トン車、六トン車用のタイヤが収納されていたが、各タイヤは金属パイプ製のタイヤラックに四段にわたって積まれており、最も高い位置にあるタイヤは床から約五メートルの高さにあった。一方、大型タイヤは作業場の奥に約一〇本ずつ積まれていた。そして、倉庫に収納されているタイヤを取り出すときは入荷したタイヤを倉庫に搬入するときとは逆の要領でベルトコンベアに乗せて作業場に降ろし、大型タイヤを取り出すときは積まれている状態のタイヤのうち一番上にあるタイヤから順次地上に降ろして作業場へ持ち込んでいた。

一般に、タイヤ交換作業は、タイヤを車体からはずし、さらにそのタイヤからホイールをはずしたうえ、そのホイールを新しいタイヤに組み入れ(「入替え」)、そのタイヤに空気を充填し、ホイールのついた新しいタイヤを再び車体に装着する(車体からタイヤを取り外す作業とあわせて「脱着」という。)という各工程を経て行われる。

しかし、営業所の作業場で現に行うタイヤ交換作業には車体から古いタイヤを取り外し、「入替え」を行って新しいタイヤを再度車体に装着するまで一連の作業をすべて行う場合、得意先において車体から取り外した古いタイヤをホイールがついたままの状態で持ち帰り、「入替え」のみを行ってホイールを組み込んだ新しいタイヤを得意先に納品する場合、車体に装着されている数本のタイヤの装着場所を相互に入れ替えるにとどまる場合(この場合「脱着」作業のみとなる。)とがあった。

このうち、乗用車やライトバン等に使用されているタイヤの「入替え」の方法についてみると、作業者はまず膝をついてかがみ込んだ状態で両腕でタイヤを車体から取り外した。そして、ホイールがついたままのタイヤを寝かせた状態で床から約八〇センチメートルの高さにまで持ち上げて半自動の交換装置であるタイヤチェンジャーの台の上に固定した。また、タイヤを交換した後は必ずホイールバランスを測定しこれを修正したが、ホイールがついたタイヤをホイールバランサーに据えるために約一メートルの高さにまでタイヤを持ち上げて行った。このようにして交換が終了したタイヤを車体から取り外すのとは逆の要領で再び車体に装着した。以上の要領で一名の者が乗用車一台に装着されているすべてのタイヤを交換するのに要する時間は三〇分程度であった。そして、空気を入れ、ホイールをはめた状態におけるタイヤの重量は約一五キログラムであり、これをタイヤチェンジャーやホイールバランサーに固定するために持ち上げる際には、作業者の両腕部に相当の負担がかかった。

一方、二トン車から四トン車以上の自動車に装着されているタイヤの「入替え」作業の内容についてみると、タイヤの「脱着」には車体とホイールをつないでいるナットやボルトを空気圧を利用して外したり締め付けたりする機械であるインパクトレンチを用いた。一般的にタイヤ一本あたり六ないし一〇本のナットが使われているが、作業時には、二トン車から四トン車用で軽くても約二〇キログラムの重さがあるインパクトレンチを両手で床からおよそ三〇センチメートルないし八〇センチメートルの高さにまで持ち上げ、軸を水平に維持してナットにはめ込んで使用した。このため、インパクトレンチを持ち上げる際、両腕部や腰部に相当の負荷がかかった。次に車体からはずしたホイールがついたままのタイヤを作業のしやすい場所へ転がして移動させた後、五キログラム程度の重さがある金属製のハンマーを用いてホイールとタイヤとの境目にアングルというくさび状の金属を打ち込んで隙間を作ってホイールリングをはずしたうえ(なお、ホイールリングを外す作業を特に「ビード落とし」という。)、ホイールリングを除去してホイールが脱落しそうな状態のタイヤを再び立ち上げ、タイヤレバーと呼ばれる器具を用いつつ足でホイールを蹴り落とす方法で行った。つづいて、新しいタイヤの中にチューブを入れ、鉄のレバーを用いながら固いゴムでできたフラップという帯状の輪を手でタイヤの中へ押し込んだうえ、ホイールに新しいタイヤをはめ込んだ。ところで、空気を充填し、ホイールをはめた状態における大型タイヤの重量は約七〇キログラムであり、大型タイヤの交換作業のうちハンマーやタイヤレバー等の器具を使用する際にはそれらを扱う側の腕に、寝かせた状態のタイヤを立ち上げたりタイヤを「脱着」する際には両腕部にそれぞれ負担を生じた。営業所では四トン車に装着されているタイヤを交換する場合、たいてい複数者で作業を行っていたが、以上の各工程をすべて一名で行った場合約一時間三〇分を要した。もっとも、一〇トン車のタイヤ交換の作業は必ず複数者で行い、一名の者が交換したことはなかった。

ところで、原告が京都営業所で勤務していた当時、同営業所では主としてタイヤの取扱いに専従する作業員がタイヤ交換作業を行っていたが、急きょタイヤの交換を依頼する者の自動車が営業所に入った場合等専従作業員ではタイヤ交換作業をさばききれない場合に備え、営業員のうち一名が交替で営業所に常駐していた。もっとも、それ以外の者もその場に居合わせていればタイヤ交換作業に従事しなければならないこともあり、原告も必要に応じて同作業に就く場合があった。

(3) 通常時におけるタイヤ交換、搬入等の作業量

京都営業所において、親会社の工場から納入されるタイヤは一回(一日)あたり約五〇〇本であった(もっとも、毎年一一月ころから翌年の一、二月ころまではスノータイヤの入荷が増加した。)。また、同営業所で「脱着」から「入替え」までタイヤ交換のすべての工程を行うタイヤは一日あたり合計三〇本弱程度であった。

(三) 京都西営業所での勤務内容

原告は昭和六三年三月一日から京都西営業所に配置換えとなった。

京都西営業所には男子従業員が所長代理を含めて三名配置されており、このうち原告を含む二名が営業員であった。なお、原告が同営業所に配属されている期間中に新たに所長が配属され、男子従業員は合計四名になった。

京都西営業所での原告の勤務内容は営業活動の担当地域が山科区を除く京都市内のうち五条通り以北の地域及び亀岡市に変わったほかは基本的に京都営業所でのそれと大きく異なることはなく、ほぼ午後六時ないし午後六時三〇分には退勤することができた。

一方、京都西営業所におけるタイヤの取扱量は京都営業所における取扱量の三分の二程度にとどまっていたが、京都西営業所に配属されている男子従業員は当初所長代理を含めて三名だったので一人当たりの作業量は京都営業所の場合とほとんど変わらなかった。また、京都西営業所では京都営業所に比べて小型タイヤの取扱量が大型タイヤの量よりも多く、京都西営業所でのタイヤの取扱いの大半を占めていたが、四トン車用のタイヤの交換も日常的に取り扱っていた。

(四) 京都営業所(平成二年七月から退職まで)での勤務内容

原告は平成二年七月三一日再び京都営業所へ配属された。

このころにおける京都営業所の人員は昭和六三年二月まで原告が勤務していたころと変わらなかった。また、京都営業所では毎週日曜日及び一か月に一度土曜日がそれぞれ休日とされていたほか、自宅研修日が設けられ、自宅で仕事に関してレポートを作成し会社に提出することが求められていた。

京都営業所に配属された後に原告が担当した勤務内容は昭和六三年二月まで原告が勤務していたころと異なることはなかったが、第四の一1(二)に説示した勤務内容に加え、原告が特に担当した業務内容とその作業量は以下のとおりであった。

(1) 販売活動

原告は京都営業所に配属されると、京都市内にあるガソリンスタンド等の得意先を回ってタイヤの注文を取るなどの販売活動を担当した。もっとも、原告は、配送担当者が営業所を留守にしているときは自ら営業所へ帰ってタイヤを営業車に積み込んでこれを配送することや得意先へ配達する予定のタイヤを予め営業車に積み込んで営業所を出発し配送することもあった。また、原告は、自分の担当する得意先へ向かう途上に他の営業員の担当する得意先がある場合には、その営業員に代わってタイヤを配送したり、その得意先においてタイヤの交換作業を行ったりすることもあった。このようにして原告は営業所での作業が増加する繁忙期を除いて、担当する得意先を一軒あたりほぼ三日おきに注文取りなどのために回っていた。

さらに、トーヨータイヤ京滋販売では毎年三月、六月、一一月に同社の親会社であるトーヨーゴム工業とタイヤの取引関係が深かったエッソ系列のガソリンスタンドを対象にタイヤの販売促進キャンペーン活動を行っており、その間、原告は京都市内及びその周辺の少なくとも約四〇店のエッソ系列のガソリンスタンドを一人で回り、集中的にタイヤの受注、配送等のタイヤ販売活動を行い、ノルマを果たすために架空の注文用の伝票を作成するのが例であった。その間を含め、原告は多いときは一日数十枚にわたる数枚重ねのカーボン伝票にボールペンで書込みをして伝票を発行したりした。

(2) 冬期における大型タイヤの交換作業

京都営業所ではスノータイヤと夏用タイヤの交換時期である一〇月半ばから年末にかけて及び翌年の二月から四月にかけての各期間にタイヤの取扱量が増加する繁忙期となるが、平成三年の冬期はスパイクタイヤの使用が規制されたため、それ以外の年に比べてタイヤ交換の取扱量が増加した。この時期に京都営業所で取り扱ったタイヤは引き取った夏タイヤが約五〇〇本、装着したスパイクタイヤが約五〇〇本の合計一〇〇〇本程度であった。

同営業所でのタイヤ交換作業は作業場でタイヤ交換に専従する作業員のほか営業員が行うのが実態であり、たいてい営業員一名が交替で営業所専従の作業員一名とともに営業所に常駐して大型タイヤ等の交換に従事する態勢になっていた。しかし、平成三年の冬期は営業員も一日中営業所で交換作業をすることがあった。

また、同時期における大型タイヤの交換作業は大型トラックが運送会社に帰る夕方以降に依頼されることが多かった。そのため、一度営業所へ戻った営業員が依頼してきた運送会社に出向いてホイールがついたままのタイヤを受け取って営業所へ帰り、翌朝の納品に備えて営業所の作業場でタイヤ交換作業を行っていた。そして、交換作業は作業場でのタイヤ交換作業に専従する作業員が中心になるものの、順次営業所に戻った営業員がこれを手伝い、最終的には営業所の男子従業員全員が流れ作業でタイヤの交換作業を行うという態勢で午後八時ころ交換作業を終えていた。繁忙期にはこのような形態でのタイヤ交換作業が毎日続き、この作業が午後九時まで続くことも一週間に数回あった。

そして、原告は前項に説示したようなキャンペーン活動等のために得意先回りをしている間にも適宜営業所へ呼び戻され、タイヤ交換作業や別の得意先へのタイヤ配送等の作業に就いたり、夕方営業所に戻ってから他の従業員とともにタイヤの交換作業を行うことがあった。

以上に述べたとおり、原告は京都営業所における業務に従事していた。

また、原告は後記のとおり京都営業所に配属された平成二年八月ころすでにジストニアの症状がみられたが、同営業所における原告の上司は書字をはじめとする右上肢による動作のみに障害がみられるジストニアの症状に対する理解が十分でなく、ジストニアの症状を訴える原告に対し冷淡に接することが多かった。また、特に平成三年一一月からのタイヤ販売促進キャンペーン期間において原告がエッソ系列のガソリンスタンドを一人で担当しており同営業所では代替要員を確保できなかったため、原告の上司が同時期に通院加療のために業務を離れる原告をなじることもあった。

2  罹患疾病とその経過等

(一) 原告は昭和六一年にトーヨータイヤ京滋販売に入社する以前はジストニアと診断されたこともなく、その症状も見られなかった。しかし、原告は遅くとも平成元年一月ころから右手に力が入らない感覚を有するようになるとともに、ペンを持つことはできるがそのペン先を紙面に接することが困難になるなど、右手での書字に障害を覚えるようになった。これに対し、原告は特に病院等に受診することもなかったが、それ以降その症状が自然に消失することもなかった。

原告は、平成二年七月一〇日に業務上の事故によって骨折し、同日その治療にあたった医師に対して右手での書字に障害が見られるなどの症状を説明したところ、その担当医から京大病院を紹介された。そこで、同年七月一七日に同病院で受診した原告は診察を担当した塩医師から書痙と診断された。しかし、その当時におけるジストニアの症状は原告の日常生活や業務に対し支障をきたすほどのものではなかったうえ、同医師から治療の必要性を特に示唆されなかったたため、同病院で受診した後も原告において右手の障害に対する治療を受けることはなかった。

ところが、原告は平成三年秋に実施されたタイヤの販売促進キャンペーン期間のころからジストニアの症状がさらに悪化し、右手での書字がほとんど不可能になるとともに、ドライバーでネジを締めたりプッシュホンのボタンを押したりするなどの動作をする際にも不自由を感じ始めた。そのため、原告は平成三年一一月ころ京大病院で再度受診した。すると、同病院の池田昭夫医師が塩医師に代わって原告の診察・治療を担当することとなり、原告は池田医師の指示により二週間ごとに通院して治療を受けるようになった。しかし、その症状は治療によっても改善しなかったばかりか、平成四年一月ころになると右手での書字が全くできなくなるとともにコップや茶碗を持っている手首が曲がってこれらを落としたりするようにもなるなど、右手による日常的な動作全般に障害を来すようになり、池田医師から「原因不詳であるが治療抵抗性であり、今後増悪する可能性があり得る」と診断されるに至った。そして、原告は平成四年三月二四日に池田医師に代わって原告の診察を担当した梶龍兒医師により、改めて右上肢ジストニアのため二か月間の自宅療養及び通院加療を要すると診断された。原告は同月二五日から休職してさらに通院加療を続けたものの症状が従前の業務に復帰できる程度にまで回復しなかったため、平成四年八月二〇日にトーヨータイヤ京滋販売を退職した。

以上の事実が認められる。

二  罹患疾病と業務との関係に関する医師の意見

1  原告の主治医である梶龍兒医師は概ね次のような意見を述べる(甲2、7、8、10、11、12の1、乙6の2、10)。

(一) ジストニアは持続的な筋緊張によりしばしば捻転性又は反復性の運動や異常な姿勢を来す病態であるが、特に書字や打鍵等特定の動作だけが障害され他の日常生活動作は障害されず(動作特異性)、異常な運動や姿勢が常に一定の形態で現れる(常同性)という点に特徴がある。そして、眼瞼、上肢等特定の部位において生じたジストニアを特に局所性ジストニアといい、片側又は両側の上肢の筋緊張の異常により書字の動作に障害をきたす書痙は局所性ジストニアの一つである。もっとも、発症当初において書字、打鍵等特定の運動だけが障害されていても後にその他の動作も障害される場合が多い。

原告は書字の動作だけが障害される形でジストニアを発症し、次第に右上肢によるその他の動作全般が障害されるに至ったものであるが、症状が増悪した過程において一貫して書字の動作の異常が顕著であるうえ(動作特異性)、ペンを持つことができてもペン先を紙面に接触させようとすると右手が右側へ捻転し書字が障害されたり、コップを持つと右手が捻転してこれを落とすなど右上肢の異常な運動が常に右側へ捻転する形態で出現すること(常同性)が認められ、これに原告の大脳誘発電位の検査結果を総合して判断すると、原告の病型は局所性ジストニアとしての右上肢ジストニア(書痙)であると考えられる。

(二) ジストニアの発症機序は現段階では必ずしも明らかにされていない。しかし、発症初期の局所性ジストニアではある特定の動作のみが障害され、常に同じ形態の異常な動作が再現されるという特徴があり、病歴上ジストニアの発症前に外傷、過激な運動や過重な負荷、不眠、職業上の反復動作、心的ストレスが存在することが多くみられる。このような医学的経験やジストニアにおける電気生理学的知見にかんがみると、各種の運動を制御する大脳基底核の中にあって書字、打鍵等特定の運動に際して頻用される運動プログラムには、その特定の運動を効率的に遂行するために必要な主働筋と拮抗筋の収縮及び各収縮のタイミングを司るサブプログラムである運動サブルーチンが存在するところ、ジストニアはこの運動サブルーチンがそれ自体頻用されるとともに向精神薬の服用、外傷、過度の加重及び心的ストレスなどの外乱要因や遺伝歴等の内的素因が作用した結果、運動サブルーチンが異常な神経回路を有するに至る疾患であると考えられる。

したがって、ジストニアは大脳の一部に器質的変化を起こす病変であって心因性疾患ではなく、罹患筋の過度の使用、向精神薬の長期服用、外傷、精神的ストレス及び遺伝的素因等がその発症を誘発し又は増悪させる因子であると思われる。

原告は大型タイヤを頻繁に取り扱う部署に配置換えになった後、それまで軽度であった書痙の症状が明白かつ急速に悪化している。したがって、原告の場合、重い大型タイヤを持ち上げるなどの作業に携わるかたわら強い筆圧で伝票を作成するという作業内容や職場における人間関係上の精神的ストレスなどが本件疾病を少なくとも増悪させた因子になっていると考えられる。

(三) また、ジストニアは器質性疾患であるから基本的に一度発症すると治癒することはなく、ジストニアに対する治療方法としては投薬、注射等を用いた対症療法を一生続ける以外にない。そして、現在効果的な療法としてボツリヌス菌の毒素を精製したうえ、その毒性を弱めた薬品であるボツリヌストキシンを半年ないし一年に一回筋肉注射し、筋緊張を一時的に緩和させるボツリヌス療法があり、原告に対してもこれを実施している。ボツリヌス療法によればジストニアの症状がかなり軽快するが、これを中断すると症状がまた復活する可能性がある。

(四) ところで、ジストニアに関する疫学的調査や研究は日本では非常に立ち遅れている。しかし、アメリカにおける調査結果や日本国内の一部の診療機関で受診した患者を調査したところによると日本にも潜在的なジストニア患者が相当数存在するものとみられる。

2  これに対し、柳澤信夫医師は概ね次のような意見を述べる(乙17ないし22)。

(一) ジストニアには目的運動に際して異常な筋緊張亢進を生じ円滑な動作が妨げられる「動作性ジストニア」と、全身又は身体の一部に持続的筋収縮を生じて奇妙な姿勢や肢位をとる「ジストニア姿勢」とがある。また、ジストニアを原因において大別すると脳に明らかに存在する病変の部分的な症状として生じたり、ヒステリーや職業的なストレスによって生じる「症候性ジストニア」と、ジストニアの症状を呈するものの原因を特定できない「特発性ジストニア」とに分類される。このうち特発性ジストニアでは安静状態にあるときは筋緊張が消失して正常な場合と異ならないが、動作性ジストニアやジストニア姿勢が出現したときに振戦を伴うことがある。

原告には書字その他右上肢による精緻な動作全般における障害が認められるものの、本件疾病が増悪した経過において他の身体部位の障害やジストニアの症状とは見られないような運動障害が出現しておらず、脳の変性疾患等の存在を窺うことができない。したがって、原告は動作性かつ特発性ジストニアであるといえる。

(二) 一方、ジストニアの発症機序や増悪因子は現在では明らかではないが、ジストニアは大脳の基底核及び大脳皮質の機能異常によるものと考えられる。そして、鍛冶職人、旋盤工等非常に長期にわたって過剰に上肢を動かす職業に就いていた者にジストニアの症状が出現することがあるが、このようなジストニアは特に「職業性ジストニア」とよばれ、その症状はある特定の作業をする際にのみ出現し、その作業をしない限り消失するのが一般的である。また、ジストニアに罹患している者が特定の作業を反復することによって一時的にその症状が増悪することがあるし、作業の反復によってジストニアが進行する可能性があることを否定することはできない。しかし、この場合でも特定の作業をしない限りジストニアの症状が現れることはない。

この点、原告は書字のみならず右上肢の随意運動全般にジストニアの症状が見られるし、原告の労働量はジストニアを発症させ又は増悪させるほどの作業量とはいえないから、原告の従事していた作業がジストニアの発症を誘因し又は症状を増悪させたとはいえない。

(三) ジストニアは治療によって一時的に症状が改善されるが完全に治癒することはない。治療法としては抗痙縮薬、筋弛緩剤を継続して服用する方法のほかにボツリヌス療法があるが、同療法はまだ日本では認可されておらず、実験的な治療法として試みられている段階である。

3  このほか、垣田清人医師及び大谷碧医師はジストニアが中枢神経系の病変であるとしたうえで、吉川検医師及び上村宏医師と同様にジストニアは発症原因が明らかでないし、進行性の疾患であって肉体的労働が増悪因子であるとは考えにくいから、原告の労働が発症又は増悪に関連したとはいえない旨の意見を述べる(乙7の2、12、13)。

三1  ところで、労災保険法は労働者が労基法七五条に定める業務上の疾病に罹患した場合に療養補償給付等の保険給付を行うこととし(労災保険法七条一項、一二条一項、二項)、労基法七五条一項、二項に基づき労基法施行規則三五条別表第一の二において業務上の疾病の範囲が規定されているが、ジストニアは同一号ないし八号に列挙されたいずれの疾病にも該当しない。

これに対し、同九号には「その他業務に起因することの明らかな疾病」と定められているが、この規定は業務に起因する疾病が本来多様であることにかんがみ、業務に起因することが定型的に認められる疾病(同一号ないし八号)には含まれないが個別具体的な検討によって業務に起因すると認められる疾病を包括する趣旨であると解される。したがって、同一号ないし八号に該当しない疾病であっても当該疾病と業務との間に相当因果関係の存することが証明された場合には同九号に該当すると解するのが相当である。

そして、その相当因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる程度の高度の蓋然性を証明することであり、その立証の程度は、通常人が疑いを差し挟まない程度の真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りるというべきである。

2(一)  そこで、第四の一に説示した事実によれば、原告は昭和六一年四月にトーヨータイヤ京滋販売に入社した後、京都営業所や京都西営業所に出勤すると作業場からの要請に応じて一〇数キログラムから数十キログラムの重さのある各種タイヤを両腕で地上から約一メートルの高さにまで持ち上げたり、右腕でインパクトレンチやハンマー等の器具を用いたりしてタイヤの交換作業等に従事するなど、その作業量に差はあるものの、ほぼ連日右上肢で重量物を取り扱うことが多かった。また、タイヤ等の重量物を取り扱うかたわら営業員として得意先を回り、カーボン紙を重ねた状態の伝票に受注内容を記載するなどの精緻かつ比較的強い筆圧を要する筆記作業を重ねた。このように、全体としてみると原告の右上肢に粗大な出力を要する作業と精緻な運動を要する作業とが混在しており、原告は右上肢に強度の身体的負荷を負っていたといえる。

さらに、原告は平成二年八月以降その当時勤務していた京都営業所において三月、六月、一一月における販売促進キャンペーンに伴い四〇軒を超える得意先を回りタイヤの受注等の営業活動を担当する一方で、冬期にスノータイヤへの交換期を迎えて同営業所におけるタイヤ交換の取扱量が増加したことに伴い、出勤日は毎日平常時を大幅に上回る数のタイヤ取扱作業に就かざるを得なかった。京都営業所では大型自動車のタイヤ取扱作業を分業で行っていて、必ずしも原告が大型タイヤの交換をすべて引き受けていたわけではなかったものの、この時期において原告が右上肢に負っていた負荷は従前に比べてさらに過重なものになったということができる。

そして、原告はトーヨータイヤ京滋販売に入社するまでジストニアの症状が見られなかったが、遅くとも京都営業所における約二年間の勤務を経て京都西営業所で勤務していた平成元年一月ころからジストニアを発症し、同営業所から京都営業所へ再び配転されて約一年が経過し、第四の一1(四)に説示したとおり営業員としての得意先回りや営業所でのタイヤ取扱作業が増加した平成三年末ころから翌年初めにかけて症状が急速に悪化したというのである。

(二)  ところで、現時点においてジストニアの発症機序は医学的に解明されていない。しかし、ジストニアは大脳基底核の一部における器質的疾患であるとし、その発症を誘発し又は症状を増悪させる因子として罹患筋の過度の使用等を指摘する梶医師の意見が存在する。しかも、ジストニアは同医師が所属する京都大学医学部神経内科において専門的に研究されている分野であるうえ、同医師自身が厚生省の委員としてジストニアに関する研究を委嘱されている事実を窺うことができるのであって(乙12、原告本人)、同医師の見解はジストニアの病理に関する有力な見解であるというべきである。

一方、ジストニアについて柳澤医師はこれを大脳基底核の機能障害であるとし、垣田医師や大谷医師はこれを中枢神経系の疾患であるとしたうえで、いずれもある特定の労働がジストニアの発症を誘発し又は一般的に症状を増悪させる因子であることを否定する(なお、柳澤医師は特定の作業の反復がジストニアを一時的に増悪させる可能性があることを示唆している。)。しかし、柳澤医師の見解は大脳基底核の機能障害が生じる構造や、どのような事情がジストニアの発症を誘発し又はこれを増悪させる因子といえるかという点を必ずしも明確に指摘するものではない。また、垣田医師や大谷医師の見解によってもジストニアがいかなる因子によって発症するかという点が明らかになるものではない。

医学上の知見等に関する前掲の各証拠及び以下に掲げる証拠によれば、我が国においては未だ疫学的な調査研究が不十分であるとはいえ、イギリスにおいてはすでにロンドン王立病院大学神経内科の医師による「局所性ジストニアとしての書痙」と題する論文が「ブレイン」という「歴史的な雑誌」(垣田医師の表現。乙12)に発表され(乙6の1、2)、これが基本的には梶医師の見解及び診断を支持するものと評価できるものであるうえ、梶医師の所属する京都大学医学部神経内科はもともと電気生理やジストニアの研究を専門としており、梶医師自身のアメリカ及び我が国での調査研究結果が集成された「ジストニアとボツリヌス治療」(甲11)の監修者である同神経内科の木村淳教授は世界的にも権威者であると認められるところである。したがって、梶医師のジストニアに関する医学上の知見及び原告についての臨床診断を同教授も支持しているものと推認されるし(乙12)、前記垣田医師、大谷医師、吉川医師、上村医師らの見解は、一定の実験等結果に基づいた科学的な仮説に立った反論ではなく、未だ梶医師らの知見等が医学の研究者、臨床の医師らに周知されるに至らず、したがってこれらが一般的な支持を得るに至っていないことを指摘するに止まるものにすぎないのである。

このように、本件記録中の証拠によって明らかになった現時点での我が国におけるジストニアに関する研究調査等の進度状況からすると、同疾患に関する何らかの医学上の知見をもっていわゆる医学上の常識又は一般的な知見とすることはまことに困難な状況にあるというほかない。

しかし、ジストニアの症状や確実な治療方法等が研究途上の現状にあることなどにもかんがみると、労災保険法上の疾病と業務との間の相当因果関係の概念を前記のとおり理解するのが相当であり、現時点においては、ジストニアの研究及び臨床診察の専門家であり、世界的な権威者の支持を得ている梶医師の見解がもっとも依拠するに足りるものと評価すべきであり、同医師らの見解に従い、罹患筋の過度の使用がジストニアの発症を誘発するものであり、かつこれが著しく増悪化する原因となりうるものと認めるのが相当である。そして、同医師は、少なくとも原告が平成二年八月から京都営業所で勤務したときにおける作業によって本件疾病が急速に増悪したとするのである。

(三)  こうして、原告が京都営業所及び京都西営業所において従事した業務の内容、本件疾病の発症とその経過及びジストニアに関する医学的見解を基に経験則に照らして検討すると、原告がトーヨータイヤ京滋販売に入社した後における右上肢に対する身体的負荷の強い作業によって本件疾病に罹患し、引き続きその作業によって症状が急速に増悪したとの関係を是認しうる程度の高度の蓋然性が立証され、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであるというに十分である。

特に、原告がトーヨータイヤ京滋販売に入社した後に従事した伝票作成等の筆記事務についていえば、本件記録中の全証拠によっても第四の一に説示した内容よりさらに詳細かつ具体的に同事務の態様やその作業量を認定することは困難であるといわざるを得ないけれども、そのような事情は右に述べた当裁判所の認定判断を左右するものではない。

3  してみると、原告の従事した業務と本件疾病の間には相当因果関係があるものと認めることができる。

第五  結論

以上の次第で、本件疾病が業務上の疾病であるとはいえないことを理由とする本件処分は違法であって、原告の本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大出晃之 裁判官磯貝祐一 裁判官吉岡茂之)

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